かなり長い事、本当に動かなくなったテトちゃんにしがみついて大号泣していました。先生はそれを放っておいてくれました。
少し泣きやんだタイミングで先生が部屋に入ってきて、テトちゃんを病院からおうちに連れて帰る事になりました。
先生が箱を用意してくれたのでテトちゃんはそこに入ってもらいました。少し狭そうで早く出してあげたいと思いました。
先生に車の助手席に載せてもらうよう頼みました。後ろではなく隣に乗ってほしかったのです。
先生に見送られながらも私は泣くのをおさえきれませんでした。
病院から出てすぐに大声で「16歳のお誕生日やろうねって言ったじゃん‼️」「約束したじゃん‼️」そして思いっきり大きな声でうわーん‼️と叫びながら大号泣しました。
こんなに自分の感情を出して大声で叫んだのは生まれて初めてでした。人前であんなに泣いたのも初めてでした。親にも見せた事はありません。
家に着き、テトちゃんをリビングでいつもよく寝ていた所で寝かせました。
テトちゃんを撫でながらずっと泣いてましたが、そこからはしばらく記憶がないかもしれません。
寝ているだけのようなテトちゃん。
私はかつての子達の亡骸の写真を撮った事はありません。
初代シェルティのモティが亡くなった時、火葬すればこれでお別れになってしまう…。当時スマホは無かった時代では今ほど写真を残せていません。
なのでせめて最後にと思ったのですが、魂が出ていってしまった体はもうモティではなくなった気がして撮るのをやめたのです。ショウちゃんもバロンちんもそうでした。
ずっとそう思っていたのに、テトちゃんを見ているとお別れが惜しくなってしまって写真を残したくなりました。
何枚撮っても撮りきれません。体が無くなってしまったら二度と見れないと思ったら何枚も何枚も撮っていました。
火葬は明日以降になりそうなので、一晩テトちゃんと一緒にいれます。その間も沢山写真を撮った。テトちゃん動かないのに色んな角度からの写真を沢山残したかった。何枚撮っても足りないほどでした。
夜が更けるにつれ、硬直が始まりました。
もう一度死んでしまったのを突きつけられた様で悲しくて辛かった。
夜はいつも通りに私のお布団に連れていきました。硬直していたので運びやすくは感じました。
いつもの場所に寝かせていつものように話しかけながらテトちゃんを眺めていました。
固くなったテトちゃんに時折涙は出ますが、いつも通りに横にいてくれてるからか号泣する事はありませんでした。
私は寝てもこれまでと同じ様に、少ししたら目が覚め…をくり返していたので都度テトちゃんを撫でたりあんよをにぎにぎしたりしてましたが、3時頃でしょうか。あんよを触ると生前のテトちゃんの柔らかい感触に戻っていました!
そんな事あるんですね。テトちゃんが生き返った様で嬉しく思い、電気を点けてまた写真を撮りました。
翌朝、またリビングに連れてきて寝かせておくと、ふと昨日届いた宅配便が目に入りました。
テトちゃんに似合うと思った洋服が昨日届いたのです。テトちゃんを病院に預けてる間に届いたのですが、無言の帰宅となってしまい、それから開封する気が起きずにそのままになっていたのでした。
これもう意味ないな。着せてお散歩行きたかったな…
…と思ったけど、とりあえず開けてみる事に。
洋服はピンクの身ごろに赤のチェックのスカートでサイズもビッタリな感じでした。
寝ているテトちゃんの上に乗せたらとっても似合っていました♡…カワイイ♡
と、また着せれなかった事に号泣。
そしたらフト、これを今着せてあげたらどうかな?と思いました。
だってテトちゃんの為に買った服といえど、着た事も無い服には思い入れはありませんし、それを残すのも捨てるのもおかしいと思ったのです。
テトちゃんに着せたらとっても似合っていました!
可愛くって写真を沢山撮りました。可愛いテトちゃんを沢山たくさん残したかった。
夫の提案でお庭でもテトちゃんを撮ろうという事になり、少し重かったけど抱っこの状態で撮ったらまるで生きてるテトちゃんのようでした。
それは硬直が解けた事によって生前のような耳の角度になったからだと思います。
しかしだからか、テトちゃんのお鼻から赤い汁が出てきてしまいました。
お庭の撮影が終わったら私の母もお花を持ってきてくれていたので、テトちゃんを撫でてる写真を撮ってあげました。
火葬は1時です。そろそろ家を出なくてはいけません。夫も母も花を持って車に行きました。
硬直が解けたテトちゃんはずっしり重く感じて抱き抱えづらく、寝てる姿勢から抱き抱えるのは至難の業なのです。
夫と母は「なにしてんの」「早くしなよ」「時間に遅れちゃう」と好き勝手な事を口々に言った。
そうだ、下に敷いてる毛布ごとなら抱けそうだと毛布に包んで抱っこして数歩歩いた瞬間、テトちゃんのおちりから便でも汁ではない小さい肉片のようなものが出てきました。
私は焦りつつチェアにテトちゃんを寝かせて、申し訳ないのですが「ごめんね〜」と言いながらおちりにティッシュを詰めさせて頂きました。
鼻の方も汁がたれるからと夫がティッシュを敷いたあひるちゃん(口輪)を着けた。
テトちゃんは生前からあひるちゃんを装着するのは大嫌いだったので可哀想でしたので、車に乗ったらすぐあひるちゃんは外してあげました。
道中、車内でも沢山話しかけたし、沢山写真も撮った。本当のお別れに近づいてるから…。
火葬場に着いたら石のベッドに可愛いテトちゃんを寝かせた。持ってきたお花も並べた。お花に囲まれたテトちゃんは寝ているだけのようで、今にも目覚めて起き上がってくれそうで、写真を撮らずにはいられなかった。
後は送り出すだけになっても私はなかなかお別れに決心がつかなかった。
ずっと泣きながら触ったり話しかけていた。もう可愛いテトちゃんの姿は見れなくなってしまう。そう思うと離れられなかったのです。
どんだけ粘ったでしょうか…。
ようやく決心がつき、「テトちゃんまたね!」と言えた。また会おうね!って意味だ。
骨になったテトちゃん…。遺骨ペンダントが売ってたのでそれを購入し、テトちゃんの自慢の大きな犬歯(頭骨から外れていた)と尻尾と指の骨の3つをペンダントに入れた。母もペンダント買ってた。
テトちゃんは9キロだったので過去のショウちゃん、バロちんより大きい骨壷になった。小さいのでも入れられない事もないけど、砕かないと入らなかったからそれは可哀想で…。
なので存在感のある遺骨になった。リビングにテトちゃんの仏壇スペースを作った。
【羊毛のミニテトちゃんもここにいるよ!】
この後、テトちゃんのごはん台も思い出の品のひとつとしてここに置くことで、棚としてガラス製のテトちゃんの足型(2歳頃に作りに行った)やブリザーブドフラワーを並べたりとアイテムを増やして仏壇を華やかにした。
いつかまた逢うまでこの世界の体では離ればなれだけど、ぜったい、必ず逢おうね!それまで待ってるね!